ロードバイクの遠足で持って出るチタン製のカップ・クッカー・アルコールストーブ

 帰宅したら日がでてきた。もう午後四時前、今日はサイクリングの道具を撮影しよう。

 並べてみたのは、お湯を沸かして、ラーメンを食べたり、スープや味噌汁飲んだり、コーヒーで一息つくための道具たち。

 

写真の左の奥がコンパクトな、EPIバックパッカーズクッカーセットS

 

中央がスノーピークのアルコールストーブ、チタン製ゴトク、450mlチタン製マグカップ

 

写真の右がスノーピークの350mlチタン製マグカップ

 

 こんなものを持ってサイクリングに出かけるのを楽しみとしている。休憩中にアルコールストーブを使ってお湯を沸かし、コーヒーを淹れ、甘いものを少し口に入れる。

 景色が良ければ言うこと無し、木陰であればなお良し。

 お腹がすいたら、おにぎりを取り出して、味噌汁かスープかラーメンを取り出して、お湯を注いで、食事をする。

 面倒くさいけれども何だか気が落ち着いてくる。重くはなるけれど、持ち出すことにしている。

 休憩中や昼飯のとき気分がいいよな、でも持ち物は軽くしたい、どうしよう。そもそも、こんな道具をロードバイクにどうっやて積むのだ。こんな悩みもロードバイクの楽しさだったりする。

 悩みは尽きないが、こんな悩みではなくとても大きなことで悩む人もいる。
例えば司馬遷。

 

ある人は
「天道はえこひいきなく、常に善人に味方する 」
という。はたしてそうか。そうだとしたら、伯夷・叔斉のごときは善人というべきものなのか、そうでないのか。かれらは、あのようにまで仁徳をつみ、おこないを済潔にして、しかも 餓死したのである。
     中略
近世にいたっても、志行が世の秩序にあわず、もっばら悪事を犯していながら、生まれてから死ぬまで逸楽し、富裕の代々絶えないものもあり、また、正当な地を択んでふみ、正当に発言すべきときにのみ発言し、常に大道のみを歩み、 公正なことでなければ発憤しないというように、終始謹直に身を持していながら、災禍にあうものが数えきれないほどある。そこで、わたしははなはだ思い惑う・・・・いわゆる天道は是なのか、非なのか、と。
 (野口定男訳 司馬遷 史記列伝一 平凡社ライブラリーP13・14より)

 

 人というのは悩みがつきない。司馬遷は公憤しながら悩んだ。私は私憤でなやむ。つまらんことで悩む。

 

   (今日の写真データ)

   (Nikon Df Ai Micro-Nikkor105mm 1:2.8 ;   F4.0 1/50 ISO200)

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