ラレーCRFのメンテナンスと『社会学史』

一月前のラレーCRF

一月前のラレーCRF

 今日は休日だが雨のため、サイクリングには出かけず、少しだけ愛車をメンテナンス。フレームの掃除をしてワックスをかけた。写真は約一月前に撮ったもの。まだワックスはとれていない様子。ピカピカであるね。

ワックス

 使っているワックスはワコーズ 、バリアスコート 。他のブログを調べて評判も良いので使ってみた。使いやすくワックスをかけた後も気持ちよく光ってくれる。よく見たらチェーンの表面に薄く錆が浮いていたので、軽くから拭きをしてあげる。この状態で乗り出せたら気持ちよいのになと、一人でぼやく雨の日だ。

 

佐藤正午 鳩の撃退法

おとなしくして、先日の『月の満ち欠け』に引き続き、佐藤正午著 『鳩の撃退法 (上)』 (小学館文庫)を読み少し勉強もしようと思って、大澤真幸著『社会学史』 (講談社現代新書)を開く。

 

大澤真幸 社会学史

 

 大澤真幸著『社会学史』 (講談社現代新書)は、社会学の歴史とその背景をたどりながら、社会学のエッセンスを説いている。社会学は単純に学説が発展するのではなく、いったん旧説に戻ることもあって、社会学の歴史も社会学そのもだととの立場で、同じような問題を色んな人が説明しているが、その説明の論点や方法をたどることも社会学だというのだ。

 これは哲学に似ているという。ソクラテスは哲学をしたのだが、そのソクラテスに戻ってソクラテスを考えるのも哲学だ、と言う。近代社会の自己意識の一つの表現が社会学だとも言う。そして社会学の定義から始めている。

 

「現に起きていることが、現に起きているのに、どこかありそうもない」と感じるのが社会学の始まりで、自己とは何かを問うて、自己を認識するのが社会学である。
  大澤真幸著『社会学史』 (講談社現代新書) P17より

 

哲学や小説と似ていると思った。

概論書といった類いの本であるが以下のうような記述もある。

 

だが、できあがった概念をただ紹介するのではなく、その概念を生み出さざるをえなかった必然性に立ち返るようにして説明するならば、知は、本来の楽しさをとりもどす。
  大澤真幸著『社会学史』 (講談社現代新書) P631より

 

 どんどんと小説や哲学に近づく。目の前の出来事を記述し、謎解きやことの成り行きを劇的にエンターテイメント化するのではなく、起きざるをえない事件とか持たざるをえない愛情や怒りに寄り添い、立ち返るようにして語るなら、今の感慨は、血となり肉となり本来の生が豊かになっていく。と、私は読み替えた。

 今日、私は自転車のメンテナンスをしただけだけれど、本来はロードバイクに乗って楽しみたくて、準備とか悩んだりとか失敗もあるわけで、だからなおさら楽しいのだね。

 梅雨よ明けよと、思うばかりです。

 

  •  (今日の写真データ)
  •  (Nikon Df Voigtländer58mm 1:1.4 ; F1.4 1/640 ISO200)

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