朝は強い風、午後からは雨、雨の日はロードバイクには乗らない。休日の一日、サイクリングで携帯するツールの点検をする。
増設したボトルケージのツール缶のなかから取り出して並べ、具合をみる。ついでに写真におさめた。
入れているツールは
- CO2インフレータ
- CO2ボンベ
- 小型のチェーンカッター
- 六角レンチのある携帯ツール
- タイヤレバー
- パンク修理用のパッチや糊
- ニップル回し
- ネジ類
- コネクティングピン
どのツールもサイクリング中に使ったことがない。パンクの経験もないのだ。使ったことがないとはいえ、これらが必要なときに,無かったら、立ち往生だろう。ツールがなくておろおろしてしまっている自分を想像したくない。だから、たまに広げてみてチェックだけはする。
サイクリングで役には立ってはいない。無駄な骨折りになるかもしれない。それでも、アクシデントが起こってから準備をしても遅いから、そのときのために準備を続ける。
準備をしていても生かせないかもしれないが、ただ右往左往するのではなく、準備をしている余裕が、なんらかの工夫を思いつかせる、と信じる。
こういう徒労に終わるかもしれないことは、読書においてもあるようで、といっても私の経験の範囲の中のことだけれど、何回読んでもよくわからない、けれどもたまに手に取って読んでみたくなる。そして読むとわからず、今回もそうか、と、つぶやく。
そんな書物の一つに、西田幾多郎の著作がある。
西田幾多郎の重要なテーマの一つに「絶対矛盾的自己同一」がある。
私にはよくわからない。それでも、忘れられずに、ひょんなことから思い出す。
絶対の、矛盾的な、自己の、同一、と読んではいけない、と、学習はした。「絶対矛盾的自己同一」をまとまったひとつのこととして読む、それが西田幾多郎の真意だというのだが。それがどんな意味を持っていくかは、今後の読書体験や経験によるのだとおもう。
だから、徒労に終わるかもしれない読書は今後も続く。
(今日の写真データ)
(Nikon Df Ai Micro-Nikkor105mm 1:2.8 ; F32 5s ISO200)
(Nikon Df Makro-Planer 50mm 1:2.0 ; F16 1/13 ISO200)
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