ラレーCRFでのロードバイクの旅はどのように表現しようか。

 

望遠レンズで撮ったロードバイク・ラレーCRF

望遠レンズで撮ったロードバイク・ラレーCRF

 ロードバイクで遠くへ行ってみたい。自分の足でなるべく楽に行きたくて、ラレーCRFを購入し、走るぞ!と生きこんでいたら、梅雨の前の新型コロナウイルス感染拡大防止のために外出を控え、最近では雨が多くて、ラレーCRFを眺めているばかり。

ロードバイクを望遠レンズで

 ロードバイクを望遠レンズで静かに撮ってみた。じっくりと目で突き破るように撮ってみたかった。

 体を預けるロードバイクを形にやきつけておいて、そのときのこころの動きを文章で表現する、何と言おうか、道しるべみたいにしたかった。

 なぜ、こんなことを思い立ったのかというと、実際に体を動かして体験する旅で、どんなことを感じるだろうか、人によってさまざまだろうが、ラレーCRFと一緒の体験によって世界を広げたい。そして表現したい。こんな気持ちから。

 私の旅、旅とは言えないほどの距離をロードバイクで走るだけだが、その時の心の動きを表現したいからで、ラレーCRFを大切にしていることを記しておきたいから。

立花隆 須田慎太郎 「エーゲ 永遠回帰の海」

 このような思いでいると、他の方はどのような旅をして何を感じたのか覗いてみたくなる。なんとも手前勝手なことから、立花隆氏の旅の本を再読する。

 立花隆氏は巨人であり、そのたびは私とは比べようもない壮大なものであるが、私のロードバイクでの小さい旅の意味をはっきりさせてくれるかもしれない。

 

その、旅の記録
立花隆 須田慎太郎 「エーゲ 永遠回帰の海」 ちくま文庫

 

 

再読して感じるのは

 再読してまず感じるのは、何かを考えさせる文章であったり写真だということで、まだまだ考え足りない自分を思い知る。

 立花氏は盛んに調べるし考える。そのほかに情念のようなものも認めながら、そこまでも歴史や遺跡を前にして考えている。人の情念を表にしてるのが特長だろう。

 たとえばこんな部分がある。

 体で実際の感情があった後に、悩んだり、どうしたら説明できるのだろうかと思い、人は神を求め哲学をした。今も問われ続けている、との内容がある。

 その問い方の一つとして、実際に現地にたって遺跡を見て、感じた本だ。何かを主張しているのではない、感じて考えている本だ。

 結論も主張もないから、後は自分で考えるしかない。

 本書中にある「哲学は対話だ」、とあるように、自分でも表現を続けようと思った。そしてロードバイクに乗って汗を流して、走っている場所を感じたい。

  今日は雨が降りそうで行かなかったが
来週こそは自転車で遠くへ行こう。

 

   (今日の写真データ)

   (Nikon Df Ai Nikkor180mmED 1:1.8 ; F1.8 1/1000 ISO200)

 

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